海の町に住む それぞれの移住|RIDE ON MY WAY Oarai Life

3人でワンチーム大洗町を盛り上げる

三橋勇太さん 38歳(大洗町出身)、あずささん 36歳(常総市出身)、渡辺亮さん 38歳(大洗町出身)

大洗町でカフェ「STREET FOOD&COFFEE TODAI」を営む三橋ご夫婦と、友人・渡辺さんとの絆は堅い! 3人にはそれぞれ東京で過ごした青春があり、持ち帰った技術と経験があります。故郷を離れた時間があったからこそ大洗の魅力は誰よりもわかる! 大切にしたい! と熱く語ります。TODAIは外から来た人も町の人もみんなが行きかう場所にしたい!そんな3人のお話です。

三橋勇太さん/38歳(大洗町出身) 
大洗町立南中学校卒業、水戸市にある水戸桜ノ牧高校卒業後、東京の文化服装学院に進学。卒業後はバンド活動、リリースも果たす。2020年から東京の溜池山王で衝撃的なコーヒーと出会う。現在STREET FOOD&COFFEE TODAIオーナー

三橋あずささん/36歳(常総市出身)
東京電力ショールーム勤務後、東京・原宿のヴィンテージショップに転職。その後、ビルの屋上で菜園栽培・管理する会社に就職したことから、オーガニックの食べ物に興味を持っていく。現在TODAIの商品開発・仕入れ・フロア等幅広くカバー。

渡辺亮さん/38歳(大洗町出身)
大洗町立第一中学校卒業後は水戸桜ノ牧高校へ入学。東京では國學院大学で経済学部、アーティストを育てるイメージフォーラム映像研究所で映像を学び、映像制作会社に勤務。現在は有限会社『梅屋商店』映像部、『Airbnb民泊事業』も手掛けている。

大洗が眩しく見えた中高時代

そもそも2人の関係は中学時代から始まる。三橋さんは大洗南中学校・野球部、渡辺さんは大洗第一中学校・サッカー部と学校は違うが、スポーツ仲間としてその頃からの顔なじみ。高校進学後は水戸市内にある高校で同級生となった。
三橋さんは「大洗は今よりもっと人がいたと思う。大洗町って昔から新しいことにチャレンジする町だったような気がしますよ。中学の校舎、見ました?僕はその頃から全国どこにも負けないかっこいい校舎だ!と思っていましたよ。町を見下ろす高台にあるんですけど、校舎の中が面白いっていうか、教室に壁がないんです。オープンな空間でしたね。1階には創作系教室やランチルームがありました。先進的事例だとかで全国の校長先生が視察によく来ていましたけど、当時の僕たちにはよくわからなかった(笑)。でもわくわくする楽しい学校生活でしたよ。悪さしたことも含めて大洗は遊ぶところがある楽しい町だと今でも思っています」と。

渡辺さんは「大人たちがチャレンジする様子をよく見かけていて、かっこよく見えたものです。お洒落な建物やテニスコートなんかもリゾートぽくってね。田舎の割にはお洒落な感覚を持っていたし、新しいことに取り組んでいたような気がします。積極的に観光の町にしようと舵を切っていた頃だったのではないかな」と振り返って語ってくれた。
また二人そろって言うには「大洗は水戸市にも近いし学校も水戸だったこともあり、水戸の街中はよく遊ぶ場所でもありました。当時は音楽ブームに乗った高校生達がそこら中にたむろしてたり、ショッピングを楽しめる店もたくさんあって、流行りの古着屋やストリート系やヒップホップ系のお洒落を愉しんだ時代でもありましたからね」と。

3人それぞれの青春時代が今に繋がった

三橋さんは高校時代からバンドをやっていたこともあり、ストリート系のファッションに興味を持っていた。そこで進学先は迷わず文化服装学院に決めて東京に出た。しかし卒業間際になって、「俺ってパタンナーには向かないんじゃないかなー」って気がついたのだそうだ。
そんな時、もともと好きだった音楽活動を再び始めて見たら、なんと火がついた。作った楽曲と自分達のバンドにファンが集まり、ちょっとしたスターになったと言う。そして拍車をかけたのは、京都での活動だった。ツアーのつもりで行った京都市内のライブハウスでの演奏が注目されてセカンド・ロイヤル・レコーズから声がかかり、あっという間にリリースが決まり、驚くほどのスピードでその世界のど真ん中に。

そこから数年は新宿MARZ・渋谷HOME・Apple銀座などでライブを開催。フェスの出場も海外まで広がっていた。そこに足しげく通ってくれていたのが、妻のあずささんだった。当時のあずささんは表参道のヴインテージを扱うショップにいた。音楽にもはまっていた時期で、国内だけでなく海外にまで足を延ばしライブやフェスを楽しんでいた。
初めて勇太さんと会ったのはそんな頃で「話してみたら訛りがあったんですよ。すぐに同郷だとわかりました(笑)。そこから仲間意識が芽生えたのかな」と。

東京でバンドをやっていた頃、渡辺亮さんが映像の仕事をしていることを知る。渡辺さんは大学の経済学部に進学していたが、Wスクールで映像作家、映画監督をはじめ、幅広い分野で活躍する表現者を育てる専門学校で学んでいた。卒業後はフリーの映像アーティストとして活躍していた。
2人は再会すると意気統合し、イメージフォーラム・フェスティバル2011で大賞を獲得していた渡辺さんの映像と三橋さんの音楽をコラボしたイベントを東京のライブで次々と開催した。あずささんが加わる3人は、共通の世界観で繋がっていた青春時代だった。
しかし世の中はコロナ禍に突入し、3人の生活は大きく変わっていく。

3人が待っていた大洗

先に大洗に戻っていたのは渡辺さんだった。その後を追うように三橋さんとあずささんは大洗へ。
そのきっかけをつくったのは渡辺さんだった。以前からコーヒーショップを始めたいと三橋さんから聞いていたので、大洗町が『チャレンジショップ』の募集を始めた事を、早速伝えてみた。躊躇する三橋さんに、すぐに応募要項を詳しく調べて背中を押したのがあずささんだった。
『チャレンジショップ』とは、大洗町が将来独立を目指す人に期間限定で場所の提供やサポートをする制度で、駅のそばの「うみまちテラス」(大洗町の魅力を知ってもらうための観光案内所)に出店できるというもの。三橋さん、不安はあったが二人が一緒ならばと、思い切って手を挙げてみた。そして、見事合格!居ぬきでの店舗をそのまま使えたので1か月も経たずに開店できた。2022年9月のことだった。そして、大洗に戻ったのを機に三橋さんとあずささんは結婚した。
1年間のチャレンジショップ終了後に、現在の場所に移転することになる。
その時も渡辺さんが「うちの実家が所有する倉庫があるから、そこでやってみたらどうか」と勧めてくれた。「もっと狭くていいし、駐車場も2台で十分だよ」という勇太さんに、「大洗町で開店するなら、駐車場は必須だよ。車を置くところがないと、お客さんは来れないんだよ」と、地元ならではのアドバイスをくれた。
「お陰様で、今お客様がたくさん来てくれても駐車場には困らない。それだけでなく、なんでも3人で相談しながらやってきている。本当に感謝しているんです。二人がいなければやってこられなかった」と三橋さん。
そして2023年、新たに「STREETFOOD&COFFEE TODAI」が本格的にスタートした。

カフェの原点は東京溜池山王

三橋さんが始めたカフェTODAIには熱い思いを持つルーツがある。リリースしたアルバムが売れなくなった頃、エスプレッソカフェでバイトをはじめた三橋さん。昔ながらの喫茶店のような珈琲店だった。そこで始めて「こんな美味しいコーヒーがあったなんて!」と感動したと言う。一つの農園で生産したコーヒー豆を挽いて提供する「シングルオリジンコーヒー」だった。そこのマスターからはいろんなことを学ばせてもらった。お客さんと楽しそうにしゃべるマスターを見てうらやましくも感じていた。
しかしマスターの店はコロナ禍を機に閉店となる。マスターは大洗でカフェを開店する三橋さんに、大事に使っていたエスプレッソマシンを譲ってくれたのだ。その店の思いとコーヒーの香りは今も受け継がれている。

TODAIは人が集い繋がっていく場所

一度大洗を出たからこそ大洗の魅力がわかったと言う三橋さんと渡辺さん。自分達が中学時代だった頃の大人達が、今の大洗町を作ってきたように、今度は自分達が「かっこいい!楽しそう!」と思ってもらえるような大人でいたいと言う。
洗町に久々に帰ってきた人も、ずっと大洗町で暮らしている人も、ふっと気楽に立ち寄れる場所にしたいと3人の思いは同じだ。
コーヒーだけだったメニューも今ではデザートの種類も増え、弾力あるパンを使った〝サワ―ドゥ〟のサンドウィッチはあずささんの手作りで人気メニューだそうだ。
50年代の米国ポップスが流れる店内には雑誌やレコード、最近は吉祥寺の古着屋さんと提携したビンテージな服もそろえている。一見若者向けのカフェに見えるが、そこは大洗育ちの2人がいることで、小・中学校当時の同級生のお母さんたちのおしゃべりの場にもなっている。気さくで明るいあずささんの存在も大きい。赤ちゃんを抱っこしたファミリーから95歳のお婆ちゃんまで幅広い客層で今日もTODAIは賑わっている。
最後に三橋さんは「誰の言う事にも耳を貸さなかった僕が、いろんな人の価値観に触れて、相手の価値観も受け入れられるようになった。それはこの地に戻ってくるまでに出会った多くの人達のお陰であり、人の思いや考え方をすり合わせながら生きていくと、新しいものが生まれるのだと気づいたことにある」と締めくくってくれた。